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    「三十八度五分。めちゃめちゃ熱あんじゃん」
     体温計をケースにしまいながら市川が心配そうな目でナリコを見ている。
    「ごめ…イチさん…」
    「そんな、そんな。謝ることじゃないよ?」
    「ありがとう…」
     せっかくイチさんとふたりっきりなのに寝て過ごすのか…とナリコは心から自分の自己管理の甘さにガッカリした。
    「ナリコ。メロン食べる?」
    「うん、ありがとう」
     ナリコの布団の乱れを少し直して市川が部屋から去って行く。
     熱出しちゃったのは失敗だけど、こうやって優しくされるのはちょっと嬉しい。
    「なんで夏目はこんなにおいしいものを嫌うかなー」
     真ん中で二つに切られたメロンを皿に乗せて両手に持ち、市川がナリコの部屋に帰ってきた。
     半径のメロンがバランスを取れずにグラグラ揺れている。
    「イチさん、コレって…多すぎない?」
    「いいのいいの。一回やってみたかったんだよね。すごい贅沢でしょ」
     そう言いながらナリコのベッドに腰を下ろす。
    「ナリコ、起きれる?」
    「ん」
    「はいどうぞ」
     ぼーっとしたまま上体を起こして皿を受け取り、よく熟れた果肉にスプーンをツプッと刺し入れる。
     甘いメロン。のどごしがいい。
    「おいしいね」
    「はぁーーー。贅沢――。味がおいしいのもモチロンだけど、この贅沢な感じがたまらんよ」
     市川はしきりに、
    「贅沢だよー」
     を繰り返し、スプーンでどんどん果肉をすくっては大口を開け食べていく。ついでに目まで大きくかっぴらいて食べていく。
     しかしこの男は本当になんでも美味しそうに食べる。
     ナリコは改めて、
    『私、こういうとこも好きなんだよなー』
     と思う。
     贅沢を思う存分楽しむと市川は、ふたり分の皿を持って立ち上がった。
    「何かあったらさ、呼んでね。俺、下で仕事してるからさ。理科のテストの採点するんだ」
     そう言ってニコッと笑うと、部屋を後にしようとした。
     え、あ。待って。まだ行かないでほしい。
    「イチさん」
    「へ?何?」
     私は一体何を言おうとしてるんだろう?
    「その…何かがないとイチさんのこと、呼んじゃだめ?」
    「え?そんなことないけど。どうしたの?しんどいの?」
     しんどい?
     そうだよ、イチさん。私、ものすごうくしんどいよ。
     自分のしんどさに気付いた途端にもっとしんどくなってしまった…。
     はぁー…と大きなため息をついて、ナリコはうつむいた。
    「大丈夫?」
     心配そうな顔をした市川がサイドテーブルに皿を置き、もう一度ナリコの横に座り直す。
     氷枕、持ってこようか?ううん。何か、飲む?ううん。何を聞いてもナリコは首を振るだけだ。
    「とにかくさ、一旦寝よ?寝たらきっと楽になるからさ」
     なだめるように言ってみる。
    「違う、イチさん」
     そう言って市川を見上げるナリコの目が赤い。
     熱のせいで自分自身がコントロールできなくなっている。このまま、思いつくままに口を開けていくと、一体私からどんな言葉が飛び出すんだろう?
    「イチさん。ここにいてよ」
    「ナリコ?」
     市川には、ナリコが何を言おうとしているのかが分からない。でももう、このままでここからは去れないってことには気付いた。
    「どうしたの?ナリコ?」
     困った顔で、でもなんとなく笑ったような顔を作ってそう聞くしかなかった。
    「夏目ちゃんばっかりズルいよ、イチさん」
     耐えきれなくなった涙が遂にこぼれる。
     あー、私ってこんな感じだったんだ。ここで涙見せるなんて絶対ナシだ。
     でも熱で重くなっていた瞼は感情を抑えきってくれない。
     ダメだ。今泣いてもなんにもならない。いけない、いけない。
     そう思いながらもそれと同時に、ずっと我慢していた気持ちが弱った身体を伝って溢れてしまったことに、不思議と心地よさも感じていた。
    「ズルい?夏目がズルいってなんのこと?」
     市川の頭の中を混乱が駆け抜ける。
     夏目が?何の話?
     そしてナリコは泣いている。黙って次の言葉を待つほかない。
    「ナリコ?」
     イチさん、そんな優しい目で見ないでよ。そんな、夏目ちゃんに向けるような優しい目で…見ないで。
     鼻をぐずらせながらもナリコは続けた。
    「夏目ちゃんはズルいよ」
     だって、とナリコ。
     ずっと思っていて、でも今まで言い出せなかったことを遂に言ってしまう。
    「だって、いっつもいっつも、イチさんとヤってさ」
    「ふぇ?」
     思わず間抜けな声が出てしまう。市川は、驚いていつものように丸く目を見開いた。
     そして何かを言おうとするが、「え…」とか、「あ…」とかしか出てこなくて、あとはただただ口をぱくぱくさせるだけで言葉になってない。
     相当驚きつつも目は反らさずにナリコを見つめる。ことの真意を測るようにナリコの目の奥の表情を掴もうとするがやっぱり分からない。
     イチさん…。私、悪くないし。
     そんな優しい目をする、イチさんが悪いんだよ。
    「私だって」
     もう、知らないから。
    「私だってイチさんとシたい。私だってイチさんのこと、こんなにも好きなのに」
    「えぇっっ」
     告白されたのにすっとんきょうな声をあげてしまった。
     ナリコが俺のことを好き?
     え?ウソ?
     確かに今まで、っていうか俺を絵にした時に、もしかしてそうなんじゃないか?と、思ったことはあるよ?
     でもその時、ナリコはそのことを全否定したじゃん。
     だから、俺はその言葉を言葉通り今まで鵜呑みにして来て…。えー??
    「イチさんと、シたい」
     もう一度、ゆっくり確実に言う。聞き違いなんて思わせないために。
    「シたいって?ナリコ、それって…」
     吹っ切れたようにコクコクコクとナリコは頷く。
     でも何を?
    「まさかそれって、セックスのことじゃないよね」
     更に混乱してきた。
    「え?なんで?」
     だってナリコ知ってるよね。
     だって俺、ゲイなんだよ?
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