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     ある日夏目が、
    「弟の結婚式にちょっと行ってくるよ」
     と、実家に帰ることになった。
    「沙耶さんも連れて来なさい」
     との夏目母の強い要望で、沙耶も一緒に連れて帰るらしい。
     沙耶は、その夏目母に更に取り入るつもりらしく、夏目が以前なにげなく言っていた、
    「うちの母親、クリームパンがすげー好きでさ」
     を受けて、一時間は並ばないと手に入らない人気のクリームパンを遠くのデパートまで買いに行っていた。
     いつでも恋愛そのものにどこか冷めていた、以前の沙耶からは想像もつかないような頑張りだ、と、ナリコは思った。
     嬉しそうに戦利品を手にした沙耶は、
    「ナリコー、クリームパン買えたー。一個は一緒に食べよっ。うわー、見て、バニラビーンズがたっぷり入ってるー」
     なんて屈託のない笑顔を向けてくる。
     二つに割られたクリームパンからはバニラの甘い香りが広がっていた。
     そんな沙耶の頑張りをほおばりながら、
    「なんだか沙耶ちゃん、夏目ちゃんのことを好きになってから素直になったよね」
     と、言うと、
    「ちょ、恥ずかしいから言わないで」
     そうやって激しく照れていたけど、そんな沙耶をナリコはかわいいと思った。

     夏目と沙耶が発つ日、玄関先まで市川と一緒にふたりを見送る。
    「いってらっしゃい」
    「いってきます」
     ふたりが留守にするのは三日間。
     家を出て、少し歩き出してから沙耶がパタパタと引き返してきてナリコの耳元でささやく。
    「ナリコ、私たちが帰ってくるまで三日間、あんた市川くんとふたりっきりなんだし、うまくやりなよ。私はもちろん…キメてくるわ」
    「えっ」
     お互いの、色んな可能性を考えてしまって思わず赤面してしまう。
    「そんなドギマギしないの。ね?頑張って。じゃーねーっ。いってきますっ」
     自分自身を鼓舞するかのように元気にそう言うと、
    「早く行こうよ」
     と、急かす夏目の元へ沙耶は駆けて行った。
    「いってらっしゃーい」
     市川は、そんなふたりにのんきにひらひらと手を振っている。
     おいおい、イチさん。あなたの彼氏、沙耶ちゃんにめっちゃ狙われてますよ。
     そして、私はこれからの三日間をあなたと過ごすことにドキドキしてますよ。
    「ナリコ、今日は俺も休みだし、一緒に夕食の買い出しに行こっか?」
     こちらのドキドキも知らずに屈託のない笑顔で市川が誘ってくる…夕食の買い物にね。
     なに日常生活にドギマギしてんだ、私。
    「うわ、スーパーなんて来るの、スゲー久しぶりだよ。ちょっと、楽しくなっちゃうなぁ」
     三十路を過ぎたというのに、ショッピングカートを嬉々として押しながらスーパーではしゃぐ市川が愛しい。
     あぁ、ダメだ。
     益々ドキドキしてきた。ふたりっきりの三日間、蚤の心臓がもつ気がしない。
    「ナリコ、ちょっとコレ見て。まるいおにぎりに貼るとサッカーボールの柄になる海苔だって。すごくない?」
     次に絵画教室行く時はこの海苔貼ったおにぎり作って行こうよー。そう言って笑う市川の声がなんだか遠く感じる。
     ここのスーパーは従業員用の扉が所々鏡になっており、そこにふたりして並んで映るのがナリコは恥ずかしかった。
    『新婚さんみたい…』
     鏡に映る自分の顔が真っ赤なことも更に恥ずかしい。
     ナリコ、俺、メロンが食べたい。夏目がメロン嫌いだからいっつも遠慮してたんだよね。
     今夜イチさんと…ふたりっきりだ。どうしよう。なんか、力が入らない。
     ナリコ、ちょっと。俺の話聞いてる?
     ダメだ。改まってふたりだけになると、どうしていいかわかんない。外にいてこれでしょ?家に帰ったらどうすんの?一つ屋根の下に私とイチさんだけ?想像しただけで頭がボーッとしてきた。
     ちょ、ナリコ?目の焦点危ういけど大丈夫?
     え?何?え?イチさん、何?
     市川がおもむろにナリコの額に手をあててきた。
    「えー、ナリコ。何これ?オデコがスゲー熱いよ?」
    「へ?」
    「『へ?』じゃないよー。熱あんじゃない?もう帰ろう」
    「ちょ、イチさん。え?」
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