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     一緒に住んでからというものの、沙耶の頑張りはなかなか凄かった。

     少しでも夏目との距離を縮めようと、朝は毎日早起きをして夏目の朝食作りを手伝った。
    「あ、夏目くん。そこはもっとこうして…」
    「あぁ、そうすれば煮魚って、型くずれしないでもっと柔らかくなるんだー」
    「そうそう」
    「じゃあこれは?」
    「え?なに?あはははは。ちょっと夏目くん、何言って…あはははは。それは無理よー」
    「ふふふ。やっぱり?」
     朝食作りは夏目の癒しの時間で、もしかして一人で作りたいんじゃないかとナリコは思っていたが意外とそうでもなく、朝から楽しそうにはしゃぐふたりの声をナリコはよく聞いていた。
     ショップ店員と美容師という職業柄、髪や服装にこだわるのが好きなふたりは嗜好も似ていたので話が合ったのだろう。ナリコや市川にはさっぱり意味が分からないブランド名やカタカナのファッション用語が飛び交う会話を楽しそうによく交わしていた。また、「市川さんと行くと、すぐにもじもじしだしてゆっくり見られないし」「ナリコといくと服屋さんでつまんなそうな顔をする」けど「沙耶ちゃんなら靴一足見立てるだけでも納得いくまで一日中付き合ってくれるし」「夏目くんなら『これどう?』って聞いた時にプロの目から見た的確なアドバイスをくれる」ので、服なんかの買い物はこのふたりで行くことにしたらしい。
    「なんか夏目ちゃんも沙耶ちゃんも、どんどんキラキラしてくねー」
     楽しそうに今日買ったものを身につけて、今あるアイテムとどう合わせるかで盛り上がっている夏目と沙耶を眺めてほうじ茶をすすりつつ、ナリコがほうっとため息をつく。
    「ほんとほんと」
     同じようにナリコの横でお茶をすすりながら、分かっているのか分かってないのかうんうんと熱心そうに市川もうなずいている。夏目と沙耶はいつまでも交互に鏡をのぞき込んではきゃっきゃきゃっきゃとはしゃいでいる。
    「沙耶ちゃん、俺また髪切りたい。どんな感じがいいと思う?」
    「えー。夏目くんて実は長い方が似合うと思うんだけど。もう少しだけ伸ばして、そんでそれをキープしたらどうかな?」
    「そうだよ、夏目。お前長い方がいいんじゃない?」
     ほうじ茶をくちに運ぶ仕草を途中で止めて市川も、沙耶と夏目の会話に参加してみるが、
    「うっさいなー。市川さんには聞いてないよ。俺は沙耶ちゃんに聞いてるんだっつうの」
     そうあっさり一蹴されてしまう。
    「えぇ?たまには俺の意見も尊重してよー」
     セオリー通りにばたばたし出す市川に構わず夏目はナリコに話をふる。
    「ナリコは?俺やっぱ長い方がいい?」
    「うんー。私も夏目ちゃんは長めの方がいいと思うよー」
    「そう、じゃあ伸ばすことにしようっと」
    「もー、何それー…。何で俺の意見だけ無視しようとするんだよ?」
    「だってお前ダサイじゃん」
    「はぁっ?」
     市川と夏目の仲はと言えば相変わらず、分かりにくいながらも恋人同士だったし、何も問題はなかったけれど、沙耶が夏目によく話しかけるので、夏目と沙耶、市川とナリコ、という構図が出来上がることが多くなっていた。
     市川は、そんな状況を特に疎ましく思うでもなく、沙耶に嫉妬心を持つわけでもなく、よほど自信があるのか、ただ単におっとりしすぎているからなのかは分からないけれど、とにかくそんな状況を自然に受け入れていた。
     ナリコは、
    「これはチャンス」
     とは決して思わなかったが、やはり自分の好きな人とたくさん話せるのは単純に楽しい。市川と、今まで以上によく話をし、密やかな想いを満足させていた。

     最近ナリコは知り合いに頼まれて、毎週日曜日だけだけど近所のこども絵画教室で絵を教えている。小学生低学年の生徒にどう教えるか、はじめてのことに戸惑うナリコに現役小学校教諭の市川がアドバイスをくれる。
    「イチさーん。小さい子って、なかなか一つの作業に集中できないみたいなんだけどさ。どうやって教えていけば絵をもっと好きになって、いっぱい描けるようになれると思う?」
    「んー。こどもたちには集中することも覚えて欲しいけど、絵を描くことを続けて欲しいよね…」
    「そうなの。絵は楽しいって思って欲しいんだよね」
    「うーん。例えばさ、『おともだちの絵を描く』っていう授業があるとするじゃん?」
    「うん」真剣な目でナリコがうなずいたことを確認して市川は続けた。
    「その時に、一日中ずっと絵の具で描くだけじゃなくて、二枚目はクレヨンで描いてみたり、ちぎり絵で描いてみたりとか、一つの課題なんだけど、飽きないように何パターンも描き方を用意してみるかはどうかな?」
    「なるほど」
    「ナリコ、俺に絵を教えてくれたじゃん?いっぱい画材を貸してくれてさ。それがすごく楽しかったからさ、それっていいなって思ったの。ナリコの絵画教室、三十超えた俺が楽しかったんだもん。こどもならもっとだよ。ナリコなら上手に教えられると思うから自信持って頑張って」
     そういったアドバイスや励ましだけでなく、夏目が沙耶と出かけてしまって手持ち無沙汰な日曜日には「図工の指導の参考になるから」と、ナリコと一緒に市川も出掛け、絵画教室を手伝ってくれた。
     普段は夏目に翻弄されてばたばたしているのが市川らしい姿だったが、こどもたちの前では違った。
     放っておけば口々にポケモンがどうとかプリキュアがどうとか好き勝手に話し出すこどもたちでも、市川が「はーい。授業を始めますよー」と、ひとこと言えばサッと市川に注目し、「じゃあナリコ先生のお話をよーく聞いてねー」と言えば、声を揃えてかわいらしく「はーい」と答えるのだった。
    「さすが現役教師だね」
    「感覚で覚えちゃった。どんな声のトーンで、どんなタイミングで言えば聞いてくれるのか」
     それ以外でも市川は、途中で飽きだすこどもがいれば声をかけて一緒に制作し、けんかを始める子がいればすかさず仲裁に入り仲直りをさせたりと終始みなをきびきびとまとめてくれる。
     そんな風に、高すぎる背を一生懸命こどもたちの目線まで下げて「先生」している市川の姿は非常にひたむきで頼もしく、ナリコは「ヤバイヤバイ。また好きになっちゃうよ」と焦りながらも市川を想うことを楽しんでいた。たまにマセたこどもがナリコのもとにやってきては市川を指し「ナリコせんせいのこいびと?」と聞いてくるので「ちがうよ。あのひとはおともだち。せんせいのこいびとじゃないよ」と否定しなくてはならず、その度にそっと小さく傷ついたが。

     そして家では、一時は揉める原因になってしまったから、と、いう理由で市川の絵を描くのをやめていたナリコだったけれど、夏目が、
    「ナリコ、もう市川さんのスケッチはしないの?」
     と、遠回しに『もう気にしてないよ』と、知らせてくれたので、また最近は市川のスケッチを再開した。
     前と違うのは、市川がナリコのスケッチを始めたことだ。
    「だって、ポーズ取ってるだけなんてヒマじゃん?それに俺、ナリコの教室手伝ったりしててさ、絵を描く楽しみに目覚めちゃったんだよねー」
     ふたりのスケッチブックに、スケッチブックとペンを握りしめたお互いの絵が増えていく。
     ナリコは、「この状況にときめくことだけ許して下さい」と、心の中で思っていた。

     毎朝欠かさず市川からもらった紫陽花の鉢植えに水を与える。
     日ごと市川を想ってしまうナリコの気持ちに比例するかのように、紫陽花は益々育っていく。
    | sweetminami | sweetcitrous | 11:54 | - | - | - | - |