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     携帯電話のアラームがバイブレーションで朝を告げる。
     夏目の華奢な指がそれを探り、遂に止める。
     そして電話を握ったままで、
    「うーん」
     と、ひとつ伸びをする。
     それでスッキリ目覚められた。
    「あー、起きたー」
     朝の到来を自分自身で確認するように独り言を呟く。
    「今日は、卵焼きを丁寧に作ってみる日だ…」
     布団の中でそんなことを計画しているとなぜだかわくわくしてくる。
     朝ごはんを作るのは夏目の仕事だ。普段の家事の一切はナリコが引き受けていたが、朝ごはんは夏目が作りたがった。朝ごはんを丁寧に作るのが夏目にとって、何よりの癒しだったから。

     隣で大口を開けてかーかー眠る市川を起こさないようにそっとベッドを抜け出す。ナリコもまだ起きてはこない。
     ご飯はいいタイミングで炊きあがるように昨日の夜、タイマーをセットしておいた。 間もなく炊きあがる頃。お米の甘い匂いが広がりだしている。
    「やっぱりご飯は炊き立てでないとね」
     ツヤを出すための炭も入れてある。
     予定通りに炊きあがることを確認したら、小さめの鍋に水を張り火に掛けた。
    「今日の味噌汁の具は納豆にしようかな」
     だし用の、荒く削られた鰹節を取り出しながらそう決める。
     西の出身者に多く見られる傾向通りに、納豆の粘りがどうも好きになれない夏目ではあったが、それが緩和される味噌汁に関しては例外的に好きだと思えた。
     次に、さわらの西京味噌漬けを三枚グリルに入れる。
     あと、豆腐も食べたい。目が覚めるようにさっぱりと冷や奴で食べたい。
    「それならショウガもおろさなきゃな」
     味噌汁、納豆、味噌漬け、豆腐。
    「しかし日本の食卓は、ほんっとに大豆だらけだな」
     なんてことをぼんやり考えながら、味噌汁と豆腐に添える細ネギを刻んでゆく。
     一通りの準備が出来たら、いよいよ今日のお楽しみ。卵焼きに取りかかる。
    「とろろ芋、とろろ芋は…っと。あった。これだな」
     昨日ナリコに買っておいてと頼んでいたとろろ芋を冷蔵庫から取り出し、丹念におろしていく。おろすのは半分。後は小さめの短冊切りにした。
    「あー、指がかゆくなってきた」
     慌てて手を洗い、ぬめりを取ったら、次は卵を三個取り出す。
     その全てをボウルに割り入れ、菜箸で丁寧にといていく。
     ここでいつもの卵焼きなら少し牛乳を入れるのだけれど、今日は和風でいきたいから敢えて入れないでおいた。
     卵焼き用の四角いフライパンを熱し、ごま油を引く。熱せられたごま油から香ばしい香りが立てば、卵を入れる。
     少したったところでとろろを乗せる。卵の半熟部分の黄色と、おろしたてのとろろの白のコントラストの美しさにしばし見とれていたいところだが今回は、カリッよりもフワッと仕上げたいから、短冊切りにした分を乗せたらもうどんどん巻いていく。
     これをみっつ用意した。それぞれに大根おろしを少しずつ添えて。
     次に暖かいだし汁に味噌を溶いていく。沸騰しないように気を付けて。
    「沸騰しちゃった味噌汁なんて興ざめだ」
     小皿に盛った冷や奴にショウガとネギを乗せる。
     あらかた完成した頃に炊飯ジャーが、炊きあがりを告げるメロディーを奏でた。
     そこでナリコが起きてきた。
    「おはよー。夏目ちゃん」
    「おはよう、ナリコ」
     やさしく湯気の立ち上がるつややかなご飯を茶碗によそいながら夏目が答える。
    「あー、すっごいいい匂いがしてるー」
    「今日は卵焼きに凝ってみました」
    「おー、スゴーイ」
     そう言いながら夏目の作ったものをひとつひとつのぞき込んでいく。
     それらが放つ、おいしそうな匂いに胃が目覚めるようだ。
    「ナリコも今食べる?」
    「うん。頂きます」
    「んじゃ、味噌汁お願い」
    「はーい」
     手を洗って食器棚を探る。
    「イチさんの分は?」
    「市川さんはまだ寝てるからいいや」
    「あれ?学校は?」
    「開校記念日だとかで休みらしいよ」
    「へー、いいね」
     開け放した台所の窓から、少し離れたところに幼稚園のスクールバスが止まっているのが見える。お母さんに見送られて、園児が元気よくつぎつぎと黄色いバスに乗り込んで行く。
     ひよこの集まりみたいだね。
     今は馬鹿みたいににデカい市川さんにも、あんな時代があっただなんて信じられない…。
     はははっ。
     ダイニングに次々と皿を運び込み、夏目と向かい合って席に着いた。
    「いただきます」
    「いただきます」
     早速、夏目の今日の自信作、卵焼きに箸を入れる。
    「うわ」
     思わず声が漏れた。とろりと溢れたとろろ芋に驚いたから。
    「すごーい…」
    「早く。早く食べてみてよ」
     うながされるまま、早速口に運んでみる。
    「んっ。うわー。おいしー」
    「ほんと?良かった」
     卵がふわふわなのはもちろん、とろろ芋の、すりおろした分と短冊切りにした分が歯ごたえに差を生んでいて、とても歯触りがいい。
    「やるなぁ、夏目ちゃん」
    「ふふ、そう?」
    「お味噌汁もやっぱ、鰹節からだしを取ってると違うね。私は細粒のん、使っちゃうし」
    「だしを取ってる時間がね、好きなんだ。時間の流れがゆっくりになる」
     夏目ちゃんは穏やかだ。穏やかでマイペース。夏目ちゃんのまわりに流れている時間は、私のとは違う。
     そしてナリコはその違いに巻かれるのが心地よかった。きっと市川もそうなんだろう。その心地よさをくれる夏目が好きなんだろう…と想像する。
    「ナリコってさ、いっつもほんと、おいしそうに食べてくれるよね?」
    「だってほんとにおいしいもん」
    「ははは。ナリコはかわいいな」
     その言葉、まんまイチさんに言ってあげなよ、とナリコは思う。夏目ちゃんの作ったご飯を一番美味しそうに食べるのはあの人なんだよ。
     夏目は、市川以外にはほんと優しい。
     でも、あの冷たい感じが夏目ちゃんの真の愛情表現で、それをイチさんが受け止めてるんなら仕方がない。
     そこには市川と夏目にしか分からない何かがあって、それにナリコは触れられない。
    | sweetminami | sweetcitrous | 15:50 | - | - | - | - |