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     沙耶が夏目に会いに来たその日、ナリコが沙耶と台所で夕食の用意をしていると、市川より先に夏目が帰ってきた。
    「ただいま…」
     玄関に置かれた、ナリコのものではない華奢な靴を見て、誰かが来ていることは察したらしい。
    「ナリコ?」
     訝しげにそろりと台所を覗く夏目。
     カレーのいい匂いがしている。
    「おじゃましてますっ」
     夏目に気付いて、沙耶がエプロンで手を拭きながら出てきた。初対面の男には(それが例えゲイであっても)、とびっきりの笑顔で話しかける沙耶だ。
    「おかえり。夏目ちゃん」
     サラダに入れるトマトを洗いながらナリコが声を掛ける。
    「私の友達の沙耶ちゃん。沙耶ちゃん、夏目ちゃんです」
     そう紹介されると沙耶は夏目の手を取った。夏目の手は無骨なところがなく、女の子のそれようにさらりとしていた。
    「はじめまして」
     これは沙耶のキャラクターの得なところで、初対面から手を取るような人なつっこさを見せても特に違和感がなかった。
    「お噂はかねがね聞いてます。ナリコと、市川くんから」
    「あ、そっか。美容師の」
    「そうそう。市川くんはお客さんだったの」
    「うん、そうだってね。あなたがナリコを紹介してくれたお陰で俺たちここに住めてるんだよね。その節はどうもありがとうございました」
     夏目は深々と頭を下げた。
    「いえいえ、そんな、とんでもない。ホントのこと言うと私、最初は冗談のつもりでナリコに打診したのよ。そしたらあの子、あっさりノリで引き受けてくれたんだよねー」
    「あははは。らしいね。ナリコはホントにノリがいいから」
     え?なに?と、台所からナリコ。なんでもない。なんでもないよー、ナリコのこと、褒めてただけよー、と、沙耶。
    「あん時の市川くん、すっごく必死だったもん。夏目くんのことね、とっても素敵な人だって、色々聞いてるよ」
    「ふふ。ホントに?あ、でも俺も沙耶ちゃんのこと、ナリコと市川さんから色々聞いてるよ」
    「えー、なんか変なこと聞いてない?」
    「聞いてない。聞いてない」
     沙耶に負けない位のひとなつっこい笑顔で夏目が返す。
    「お酒にめっぽう強いってことくらいかな?『沙耶ちゃんはザルだ』ってナリコが言ってた」
    「ちょっと、ナリコーッ」
     台所に向かって沙耶が叫ぶ。
    「えー、さっきまで褒めらてたのに何で今度は怒られてんのー?」
    「あははは」
     そんなナリコたちのやりとりを微笑ましそうに見ている夏目は礼儀正しくてお洒落。今日は濃いブルーのスキニーデニムに少し光沢のある黒のジャケット。中に着たうす水色のストライプのシャツにはきちんとアイロンがかけられており、趣味のいい細身の紺のネクタイを少し崩して結んでいる。
    『夏目くんてほんとおしゃれな子…っていうか、顔小さっ。写真よりもいい感じじゃん。ゲイってことを考慮したとしてもかなりいい男…』
     沙耶は心の内で夏目を値踏みしていた。
    「夏目くん、今度ウチに髪切りに来なよ。負けたげる」
    「ほんと?じゃあ行こうかな」
    「そうしなよー。そんなサラサラの黒髪、久しく切ってないから、こっちからお願いして切らせて欲しいくらいよ」
    「マジで?いやー、助かるよ。そろそろ切りたくなってたんだよね」
    「じゃあ、是非」
     そう言ってふたりは、どんな髪型がいいかを話し合い出している。
    「少しアンシンメトリーなマッシュとか、似合いそう」
    「アンシメかー。勇気がいるなぁー」
     色々言い合いながらはしゃいでいる。
     ナリコは、最初、
    『周りの人を自分のペースに巻き込む同士のふたりが出会うとどうなるんだろう』
     と、少し心配していたが、
    『沙耶ちゃんと夏目ちゃんに関しては、はなんだか気が合いそうだな』
     今のやり取りを見てそう思い直し、安心した。
    「夏目ちゃん、ビールでしょ?先に飲み始めてもいいよ」
     冷蔵庫からよく冷えた缶ビールを取り出し、ナリコが言う。
    「いいの?悪いね」
    「もちろんいいよー。あ、沙耶ちゃん」
    「何?」
    「後はサラダ作るだけだから、沙耶ちゃんも夏目ちゃんと飲んでていいよ」
    「え…でも。悪くない?いいの?」
     そう言って、一旦遠慮して見せる沙耶に、
    「飲もうよ沙耶ちゃん。イケるクチでしょ?ナリコも市川さんもお酒弱くてあんまし飲めないからさ、俺らは今から飲み始めてちょうどだよ」
     と、夏目が誘って、それにナリコが続ける。
    「そうだよ。ふたりがどんなに飲んだって、私とイチさん、すぐに追いついちゃうんだから」
    「そお?じゃあお言葉に甘えて飲ませてもらおうかな」
     お酒が強い人と飲むといつもより飲んでしまうことがある。この日の夏目と沙耶はお互いがそうだったらしい。
     それから約一時間後、市川が帰宅する頃にはもうふたりはとっくに出来上がっていた。
    「ただいまー」
    「イチさーん」
     市川の帰宅を知り、困ったような笑顔でナリコが玄関まで駆けてきた。
    「どうしたのナリコ?」
    「沙耶ちゃんが来てるの」
    「あぁ、沙耶?そうなんだ」
     市川はいつもの調子でそうのんびり答える。
    「今日はカレー?スゲーいい匂いが家の外までしてるよ」
     なんていいながらゆっくり靴を脱いでいる。
    「イチさん、助けてよ」
     そんな市川にすがりながら、でも笑ったままでナリコが言う。
    「ふたりともすっかり出来上がっちゃってさ、今、みんなでトランプしてるんだけど、私が負けるとすっごく絡んでくるのよ。イチさんの、見つかっちゃったよ?」
    「えぇ?どういうこと?」
     不審そうな顔の市川をよそに、ダイニングからナリコを呼ぶ声する。
    「ナーリーコーっ。早く。負けたのはナリコなんだから。バツゲーム、ちゃんと最後までしなさいよ」
     と、沙耶。
    「いいから早く、さっきの続きを読めよ」
     続けて夏目の声。
    「もうイヤだってば。夏目ちゃんと沙耶ちゃんのバカッ」
     ナリコがそう叫んでもふたりは一層ケタケタと笑うだけだ。
     ナリコは、やっぱりニヤニヤしながらだけど、市川の陰に隠れるようにしてダイニングに戻る。
    「ただいまー」
     そろりと足を踏み入れる市川。
    「おじゃましてまーす」
     そこには、何度も一緒に飲んだことはあるけれど、今まで一度も見たことない程に顔を赤くし、にやけている沙耶がいた。
    「おう市川っ。おかえりー」
     夏目が市川を呼び捨てにし始めたら、それはかなり酔っている証拠だ。
    「イチさん見てアレ」
     そこには山積みにされたビールの空き缶。
    「えー…。カレーとビールってそんなに合わないよね?なのに、なにこの消費量…」
     市川も呆れてそう言う。
    「ナリコ。市川のことはもういいから、早くさっきの続きを読めよ」
     夏目が急かす。
    「もうイヤだってば」
     はにかみながらナリコが答える。
    「さっきの続きって何?それで『見つかっちゃった』って、俺の…何が…?」
     市川が当然そう尋ねると、
    「これこれ、これよ。それで、これをナリコに朗読させてたの」
    「あぁっ」
     沙耶がひらひらと見せてきたのは、市川が夏目に隠れてこっそり読んでいた官能小説だった。
    「こんなの読んで、お前。何興奮してんの?」
     呆れたように、夏目が冷たい視線を投げかける。
    「引くよね」
    「ちがうのっ。それは…」
     いつも以上にしどろもどろになる市川。
    「しかも美少女ものってさー。市川くんってロリコンだったんだ?」
     夏目に勝るとも劣らない冷たい調子で沙耶が言い放つ。
    「ロリコン小学校教師…サイアク」
    「ちょっ、ちがっ。やめてよっ」
     慌てて沙耶の手から本を奪うがもう遅い。
    「この平成のご時世に小説って…市川も相当アナログ人間だよね」
    「しかも隠し場所がベッドの下なんて…市川くん、中学生男子みたい」
     容赦なく市川をふたりが攻める。
    「ナリコー。夏目がふたりいるみたいだよ。冷たいよ。すっごく冷たいよ。この冷たさのせいで俺、凍え死んじゃうよー」
     そう言って最後の頼みの綱であるナリコにすがりつくが、
    「イチさん。今回ばっかりは私もかばえない」
     と、あっさり言われてしまう。
    「えー」
    「じゃあさー、俺に隠し事してたこととー、しかもそれがゲイものじゃなくて美少女ものだったことのバツとしてー、続きは市川に読んでもらおー」
     ロレツも危うく夏目が提案する。
    「あはははは。賛成っ」
     酔っぱらいふたりに「読め、読め」と、強要されて、
    「なんで俺が…」
     と、いいつつも、仕方なく市川は小説を読み出した。
    「えー…『あぁ、たくましい』えっと…『京子の締め付けに、俺はもう、爆発寸前だった…』」
    「うあーっ。むちゃくちゃキモーいっ」
     読ませておいて夏目と沙耶がそう叫ぶ。
    「ちょっとっ。俺、こんなの読んでキモがられてないで、先にご飯食べたいんだけど?」
     そう抗議する市川に、
    「ダメダメ。バツゲームが先でしょ?」
     と、夏目。
    「ご飯はそのチャプターが終わってから」
     と、沙耶。
    「えー…」
    「イチさん、がんばって」
     そして、ナリコが笑いながら励ます。
    「こんなバツゲームにがんばるも何もないでしょっ。なんだよ、ナリコまでっ」
     困りながらも楽しそうな市川を見ながら、ナリコはますます「この人を好きだ」と、思った。
     この人を。
     この人と、夏目ちゃんと沙耶ちゃんと。
     楽しくはしゃげる今が、本当に好きだと思った。
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